− つもる −
Contents
◆ つもりつもって積み重なった先に、みえるもの。/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「つもる」/HIRAI Yuta
◆ 十年一昔/MIYAKITA Hiromi
◆ 積もる/MORI Atsumi
つもりつもって積み重なった先に、みえるもの。
いきなりだが、『MOON』は次回のvol.30をもって、いったんの“最終号”としようと思う。
なんとなく考えてはいたが、タイミングがなかった。(ここで一つ言っておきたいが、私はこの「タイミング」という言葉が大嫌いだ。「タイミングが合ったら」という表現は基本的には間違っていると思っていて、タイミングは合わせようと思わない限り、合うはずがない。タイミングが合う時というのは、どちらかが「合わせにいっている」から合うのである。ゆえに、タイミングが合うとは、合った瞬間に「今だったんだ」と感じる事後のものではないかと解釈している)
で、今回、タイミングが合ったのだ。
『MOON』は、“同じテーマで言葉をつむぐ”という、いわゆる“解釈の違い”を楽しむマガジンだ。共感するもよし、否定的に感じるのもよし。読み手に「自分だったら・・・」と考えてもらえたら、なおよし。
『MOON』の編集長として大切にしていることは、書き手と読み手の“温度感”である。双方の満足度が適温で、比例してこそ意味がある。デザインが時代に合わせて変化、そして進化するように、“温度感”もアップデートされなければならない。
月の満ち欠けの周期は、およそ29.5日。30号という節目が、『MOON』のアップデートには良いタイミングなのではないかと感じた。『MOON』の名にふさわしい、この上なく前向きな、第一章の締めくくり。『MOON』をぬるま湯にしないための、“いい温度”をキープし続けるための、タイミング。
つもりつもって積み重なった先に、みえるもの。感じること。踏み出すこと。
これは好機なのだ。
『MOON』のライターは、もれなく私の大切な人たちばかりで、ライターが楽しく言葉をつむぐことこそ『MOON』の価値とさえ思っている。今ままで文章を寄せてくれたことに敬意を表するとともに、これからもともに発信し続けたいと願っている。
今年もあと1ヶ月。2023年1月1日に配信予定の「最終号」が、みなさまの「新たなはじまり」のお力添えになりますように。(ちなみに、翌月2月1日には「特別編」を配信予定)
いろいろ想いを語ったが、『MOON』が私の表現の場と、メンタル安定剤だったことは間違いない。
KAWAGUCHI Yuko
「つもる」
川口さんにこの場所に誘ってもらって以来、
毎月ひとつ、ここに文章を書かせてもらってきました。
公開の場所で、
自分のような人間が何を書けばいいのかということを、
常に自問しながら言葉を選んできました。
言葉を選ぶ際、自分と真剣に向き合う必要があり、
毎度、原稿と向き合うのはしんどかったですが、
とてもいい経験になりました。
同時に、自分が尊敬する言葉の発信者たちは、
もっともっと深いところで自分自身と対話して、
真理のような言葉を掴み取って来られているんだなと
改めて思い知りました。
その中には、友人たちも含まれていて、
友人が作品のなかで表した言葉の意味を、
もう一度追いかけ直したりもしました。
それを受け取らせてもらっているこの縁もまた、
とても有り難いものだということも改めて実感しています。
ある友人が、
「どんな変なことでも、やめずに続けていれば、
認めてくれる人が必ず出てくる。」
と言っていました。
たしかに、40歳を過ぎて、まわりを見渡せば、
若いうちに出会ったものをやめずに続けて、
磨き続けてきた友人たちはみんな、
味わい深い人生の物語を聞かせてくれます。
自分は色んなことをやめ続けてここまできました。
そして、またひとつ。
大して味のしない自分の人生を噛んで噛んで、
苦味の奥に味を探しています。
不安定な世の中で、一人前に不安定な心の内を、
定期的に出力させてもらう機会があったということは、
解毒のような効果もあったりして助かることも多々ありました。
川口さん、本当にありがとう。
これからは、もう一度、自分のなかに溜めようと思います。
そして、用意してもらった場所ではなく、
自分の場所で、自分で出力したいと思います。
やめたことで生まれたものを、省みて、都合よく解釈せず、
でも燃やして、進んで行こうと思います。
HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp
十年一昔
2012年11月29日に丹後に引っ越しました。
毎年12月になるとお正月よりも一足早く、新しい年が始まったと感じていました。
降り積もった時間の中から、小浜から眺めた美しい夕陽、鳥居越に見えるかぶと山の稜線、いつ何時もエールをおくってくれる立岩、猿に追いかけられた怖い思いをした経ヶ岬、多くの自然風景を思い起こします。丹後の自然の営みに学び、力を与えてもらいました。ありがとう。
英語にdecadeという言葉があります。10年間を表すので、10年で一区切りという感触をもたらされる気がします。私の新しいdecadeが始まりました。キラキラ輝く未来が見えている訳ではありません。自分の生きる使命に真面目に取り組むだけです。
MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com
積もる
雪がほとんど降らない地域で生まれ育ったので、子どもの頃、1ミリでも白いものが積もると、お祭り騒ぎだった。
通学路の途中、車に積もった雪を集めて投げたり、休み時間にみんなで泥混じりの雪だるまを作ったり。
けれど、水気の多い雪は帰る頃にはすっかり溶けていて、べちゃべちゃの地面だけが残った光景を、残念に思ったものだった。
そんな私が就職とともに丹後に住むことになった。
引っ越しが決まったアパートで、共用部に当たり前のように置かれた雪かき用のスコップ、スタッドレスタイヤ。
「最近は雪もそんなに降らないよ」と言われながら迎えた、初めての冬。それでも、朝起きると辺りが真っ白なことが何度かあった。
まだ真っ暗な時間、ジャラジャラゴロゴロという音で目が覚めると、それは除雪車の音。
暖かい部屋でこたつに入って、窓の外を白いものがまだまだ降りてくるのを、わくわくと眺め、夕方になっても消えない雪で、いそいそと雪だるまを作り。
いつもよりもしんと静まり返ったように感じる夜、わずかな光を跳ね返してぼんやりと浮かび上がるような道路に、一人佇んで、あぁ、本当に雪国なんだなぁと感心していた、1年目。
しかし、私が丹後に住んでいた3年間はちょうど雪の多い年に当たったようで、年を追うごとにその量は増していった。
幸い、職場もスーパーも近くにあったので、雪が積もった時には、慣れない雪道運転や広大な駐車場の雪かきは早々に諦めて、長靴を履いてせっせと歩いていたのだけれど、それもまた一苦労だった。
いつも使っていた職場への近道は除雪がされていなくて、ふわふわの雪が積もった道を、開拓者の気持ちで意気揚々と突き進めば、長靴の上から雪の侵入を許し、1歩踏み出すごとに埋まる足に、体力を奪われ。
ようやく除雪された道に出たと思ったら、それはそれで、何度も滑って転びそうになり。
普段ならほんの5分の距離を何とか職場に着く頃には、1日の体力を使い果たした気分だった。
また、朝早くから、車の雪を落とし、自宅から道路に出る通路を確保するために雪かきに励む人々の姿に、「雪国の人は働き者だなぁ」と感心していたが、自分も他人事ではいられない。
どうしても車が必要な時もあるわけで、そんな時は、まめに雪かきをしないせいで、シャーベット状になって固まってしまった雪の層と格闘しながら、何時間もかけて、駐車場になんとか車の通れる道を作った。
また、油断して屋外に駐車していて、ワイパーをダメにしたこともある。
何をするにも、雪に行動を阻まれるようだった。
しつこかった2,3年目の雪は、いつまで経っても道の端や駐車場の雪山として残っていて、視界の端に白いものがあるのが当たり前になった頃には、「もう見たくない」という気持ちになっていた。
だから、そんな白い世界から、徐々に黒い地面が覗いて、緑が芽吹いてくると、解放されたような気がした。
明るい日差しの下、柔らかく色づいた世界で、草木や生き物やあらゆるものが春の訪れを喜んでいるようで、古くから人々が春の訪れを待ちわびた気持ちが、とてもよくわかった。
そして、地元に帰ったここ数年。
昨年は、京都市内にも久しぶりにしっかりと雪が降って、雪の轍を踏みしめながら、職場に向かった。
そこにはやはり、非日常に浮かれている自分がいて、でも、夜、帰る頃にまだ残っている白いものに、もういいんだけどなとうんざりしている自分もいた。
MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。
編集後記
風が強く吹く夜に、冬の訪れを感じる。
うれしいことも、悲しいことも、毎日いろんなことが起こって、喜びながら、悲しみながら、感情を震わせ生きている。人間関係、仕事のこと、健康のこと、悩みも尽きない。
2022年も、あと1ヶ月。
年の瀬だというのに、やりたいことがどんどん出てくる。
風で窓が激しく揺れる。
急かされているようで、気持ちが落ち着かない。
きっと今月は、ずっとこんな感じだ。
2022.12.1 KAWAGUCHI Yuko