MOON se1 / 色 / #xxxxxx

〜はじめに〜

『MOON』は、与えられたテーマにそって、4人の作者がそれぞれの視点で文章をつむぐWebマガジンです。何に縛られるでもない、あるのは、それぞれのテーマの解釈です。

特別編である今回のテーマは、「色」です。

赤、青、緑、黄……色は無限に存在にします。ただ実際は、色が無限に存在しているわけではありません。人間には色を識別する能力が備わっていて、それだけ色の違いを認識しているということです。

無限に存在しているのは、色ではなく、人間の解釈であること。
解釈は、書き手の“色”であり、読み手の“色”です。

個という“色”を重んじ、自分の“色”を堂々と発信できる世界に、
感謝と希望を感じながら。

私たちはこの世界を、もっともっと楽しめるはず。

KAWAGUCHI Yuko

special edition 1
− 色 −

目線は上に


朝、職場の最寄りで地下鉄を降りて、階段を上がって地上に出る。
重たげに足を上げる人々の暗い色の背中を追う、毎日毎日変わらない光景。
そこから、少し目線を上に向けると、地上へと開いた出口から、木々が空に枝を伸ばす様子が目に入る。

冬には、紗を一枚かぶせたような水色を背景に、むき出しの梢が朝日にきらきらと輝き、それが次第に、同じ時間でも少しずつ空の明るさが増して、枝に柔らかな黄緑色の葉が着き始めると、春がやってきたなぁと感じる。
そんな瞬間が好きだ。

小さい頃は、花や木を見ても、そこまできれいだとは思わなかったし、SNSに投稿される空の写真は、なんとなく冷めた目で見ていたのに、気付けば、年々、そういうものを美しいと感じるようになっている。

まばゆい青紅葉に、軒先に咲いた牡丹の花びらのグラデーション、夏の海の澄んだ青、波打つ稲穂、冬枯れの木立、夕焼け空のピンクにオレンジ、赤、紫、グレー。
年中、あらゆる色に目を楽しませてもらっている。

でも、思えば、たくさんの色が並んでいるのを眺めるのは、ずっと好きだった。
何色もの糸のセット、36色入り色鉛筆、色相環……。
中学校の国語の授業中は、いつも飽きることなく、便覧の十二単が載っているページを眺めた。
そこでは、何枚も重ねた色とりどりの衣の、その色の組み合わせで、季節が表現されていた。
春なら、濃いピンクの「紅梅色」と、深い赤の「蘇芳色」の衣を重ねて、「紅梅」の襲(かさね)。
夏なら、薄い紫の「薄色」と、新緑の草木の色の「萌葱」で、「藤」。
秋なら、藍と紅花で染めた紫の「二藍」と、深い緑の「青」で、「桔梗」。
冬なら、「紅梅色」と「白」で、「雪の下」。

日々過ごす中で出会う、ハッと目を惹く光景。
同時に生じる、その光景を自分のものにしたい、形にして残したいという衝動。
その衝動から、人々は工夫を重ねて美しい色を再現し、描き、言葉を紡いできた。
現代を生きる私は、思わずスマホに手が伸びるけれど、そんな気持ちが、ちょっとわかる気がする。

最近、友人からもらった一輪挿しに、時折、植物を飾っている。庭に生えているような、何気ない植物。
冬のくすんだ色彩の中で、輝くばかりに赤い実を着けた南天が、部屋の一角を照らす。
色を、手に入れたような気がしている。

色_1


あの人の青色、かっこいいなぁ。
あの人の黒色、シブいなぁ。
あの人の橙色、居心地いいなぁ。
あの人の緑色、優しいなぁ。
あの人の赤色、強いなぁ。

自分に無い色を持つ人に出会うたび、
似たような色を自分にも塗って生きてきた。

自分が何色なのかはわかっていなかったし、
自分が何色になりたいのかも、よくわかっていなかった。
憧れてはフラフラと他人色まかせ、
軽い気持ちで筆をとった。

だけど、自分の中から滲み出てきてしまう、
嫌な色が自分で見えることはあった。
急いで別の色を上から塗ることもあったし、
すぐにはそれが嫌な色だと気づかず、
時間が経ってから上塗りすることもあった。
きっと今も、自分では気づいていないだけで、
嫌な色を含んでいることだろう。

そして、一度塗った色は消せない、ということがわかった。
上から違う色を塗ったとしても、
その下には、見えなくなってもその色は在り続ける。

自分はすっかり不思議な色に出来上がってしまった。

こうなったら、
「あんた変な色だなあ」
と笑ってもらえるような色になることを目指したい。

そして、その変な色を、
自分でも好きになれる日を目指したい。

サイクル


1日は24時間。1年は12ヶ月。
私たちはこのサイクルの中を、毎日毎日生きている。光の色が循環するように、喜怒哀楽を繰り返しながら、人生を歩いている。

「今夜の月は特にキレイだなぁ」
ふと、こんな瞬間がある。

朝起きて飲むコーヒーの味が甘かったり、青空がやけに澄んで見えたり、毎日通るカレー屋のにおいに妙に惹かれたり、駅の発車メロディがやけに軽快だったり、風呂上がり、体を拭くタオルが少し暖かかったり……。五感だって、その日の体調や心境によって、ちょっとずつ変化する。

そう、このサイクルは、スイッチを押して再生を繰り返す「リピート」ではなく、毎日幕が上がる「舞台」のようだと感じる。同じセット、同じセリフ、同じ役者でも、その回によって作品の雰囲気は違ってくる。人生も同じだ。

かつての月と同じ月が眺められるという、19年の「メトン周期」。太陽暦において、今夜の月が19年前と同じ月だといわれても、その月相は違って見えるかもない。

1日は24時間。1年は12ヶ月。
このサイクルを、常にアップデートするために。

今この瞬間は、一度しかない。

月の光


ドビュッシー作曲のベルガマスク組曲 第3曲「月の光」。とても美しい旋律で、中学生当時、とても嫌いだったピアノ練習も、「この曲なら」と何度も弾いた記憶がある。気持ちをすっと鎮めてくれそうな、それでいて力強く、少し不安にもなるような、不思議な感覚。今でも時々、聞きたくなる。

月は、実に「あいまいに」輝いていると思う。

月の光は、太陽の光が反射したものであり、その色は、月の高度や大気などによって変化する。そのためだろう、人が感じる月の光の色というのはさまざまで、AさんとBさんでは、きっと答えが異なるに違いない。

人生において、決断を迫られる機会が何度かある。そんな時、結論を先延ばしにできたらどんなにいいか、と思うことがある。どうしても答えが出せない時、「どっちでもいいよ」と寛容になってもらえたら、とても気持ちが楽になる。この許容という名の「あいまいさ」は、人間関係において思っているより難しい。だからこそ、求めてしまう。

ドビュッシーの「月の光」。その魅力を、「あいまいさ」と解説しているサイトもある。印象派音楽の創始者といわれた彼は、不協和音が多いとされるそのメロディから、何を表現したかったのだろうか。

夜。月をぼんやり眺めながら、明日のことを考える。
空白の時間が、妙に心地よい。

色_2


炊き立てホカホカご飯に、明太子豪快一本乗せ。

ガス火焼ギラギラの怪光、塩鯖大根おろし醤油。

ピカピカ卵焼きとタコさんウィンナー、塩昆布二段式海苔弁当。

角切トマト入ドロドロソース焼きそば、四往復半辛子マヨネーズ。

熱々ごま油に豚バラとゴロゴロ根菜投入発、刻みネギと七味ぶっかけ着の豚汁。

遅昼の定食屋カツカレー大盛り、キラキラ福神漬けとツルツルらっきょ。

ユラユラ鰹節と青海苔のダンス、火傷寸前一口食いたこ焼き。

炭火焼き鳥と煙草の香りモクモク、短冊系狭小酒場の昼立ち呑み。

半熟トロトロハムエッグにんにく醤油焦がし仕上げ、オンザ丼飯。

休日フワフワ厚切りトースト、こってり豪奢あんバター。

珈琲だけのつもりがついつい、喫茶店のジュージュー鉄板ナポリタン。

キンキン極冷え瓶ビールと、焼餃子酢醤油ラー油落としツーバウンドご飯。

韓国唐辛子グラグラ豪熱キムチちゃんこ、〆のチーズリゾット。

ザクザク春キャベツのメンチカツ、ウスターソースのの字回しがけ。

ヘトヘト深夜の牛丼全卵落とし、山盛り紅生姜。

下味一晩漬け鶏唐揚げの二度揚げ仕上げ、キュンキュン塩レモンと焼酎ソーダ。

カリカリベーコン卵液ぐちゃ混ぜ、粗挽き黒胡椒ガリガリカルボナーラ。

二日酔い、月見そばに紅生姜天ぷらトッピング立ち食いズルズル。

燃え上がる脂の煙中ブリブリホルモン、炎昼のBBQがぶ飲み缶ビール。

塩むすびアツアツ気合の素手握り、即席赤だしとたくあん添え。


ああ、腹減ったなあ。

パレット


図工の時間の絵の具のパレット。色塗りが進むにつれて、色んな色が混ざり合って、最後には、よくわからない茶色や黒になったりして。それが嫌だった。
だから、それぞれの色が広がって混ざり合ってしまわないように、慎重に絵の具を混ぜた。
けれど、そんな風に作業をするのは時間がかかるし、疲れるし、その上、なかなか満足のいく色にたどり着けなかった。
もっとのびのび、好きな色を好きなだけ作って塗ればよかったと思う。

何かにつけ、そういう風に生きてきたような気がする。
けれど、だんだんと、色んな失敗をして、経験を重ねている人を前にして、自分の薄っぺらさが目に付くようになった。
色んな色が混ざって生み出される、深みや奥行き。
自分が避けてきたものは美しかった。
何度も何度も混ぜて、塗り重ねて、自分の好きな色になっている人が羨ましかった。

どんなに慎重に生きたって、避けられない傷はあるし、きれいな色も、だんだんと褪せたり、くすんだりしてくる。
ふいに人から指摘された自分の色に、こんなはずじゃなかったと思うこともある。
そんな自分の現在地をその都度受け入れながら、混ざり合ううちにできた思わぬ色も楽しみながら、好きな色に近づけていくくらいが、面白いような気がしている。
チューブから出したままの色では、物足りない。

その船は
世界のふしぎの渦から生まれ
円を描きながら 先へ進んでゆく

空を見上げると きっとそこに答えがある
わたしたちが はじまりを忘れてしまっても

終わりに


幼い頃、お菓子のおまけで付いてくるキラキラのシールをみて、優越感に浸っていた。おまけはお菓子の方、と言わんばかりのその輝きは、子どもの目には、100カラットのダイヤモンドのように光っていた。

大人になって、それはホログラムという印刷であることを知った。身近なところでいうと、お札やクレジットカードに偽造防止のために使用されている。グラフィックデザインの仕事をするようになってからは、加工手段の一つとしていろいろな種類を見るようになった。ダイヤモンドの輝きはなくなってしまったが、今でも、それを見ると高級感をおぼえる。

子どもの頃に感じた感動は、大人になっても忘れない。ただ走りまわるだけで楽しかった感覚は、“わたし”という人格を構成している重要な要素だ。細胞の奥の奥で、キラキラと輝きを放っている。

「これから世界はどうなっていくんだろう」

自分に何ができるだろうと思うけれど、最近は、「何かしたい」と思えるようになってきた。手の中で光るシールのように、キラキラと光る体験を、子どもたちに少しでも与えられたなら、世界はちょっとずつ、明るくなっていく気がする。

“色”とりどりの輝きが、これからの世界をつくるのだ。


MOON se1 / 色 / #xxxxxx

目線は上に(MORI Atsumi)
色_1(HIRAI Yuta)
サイクル(KAWAGUCHI Yuko)
月の光(KAWAGUCHI Yuko)
色_2(HIRAI Yuta)
パレット(MORI Atsumi)
船(MIYAKITA Hiromi)
終わりに(KAWAGUCHI Yuko)
– 2023年2月1日

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