MOON vol.21 / 新 / #C8D2EB

− 新 −

Contents

◆ 0→1/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「新」/HIRAI Yuta
◆ 春がきた/MIYAKITA Hiromi
◆ 新しくなることの寂しさについて/MORI Atsumi


0→1


休日の午後、ふとテレビをつけたら、ドラマの再放送をしていた。あらすじはまったく知らないものの、その場面のワンシーンに、“うるる”と目頭が熱くなった。俳優のすごさを実感する。
ドラマや映画の表現って、今までどこか「別世界」のように感じていた。自分の世界とは、異次元の感覚。でも、気になったそれらの制作ストーリーや監督の話なんかをじっくり読んでみると、人が何かを表現することの根本って変わらないのかも、と思った。小さなグラフィックでも、制作費数億円の映画でも同じ。「誰かの心に刺さるクリエイティブを生み出したい」という願いは、どちらも同じなんじゃないだろうか。

人は、“心”を持って生きている。喜怒哀楽を繰り返しながら、毎日、生きることと向き合っている。その人生の一片に、私は何を届けられるのだろうか。

コピーライターの友達と毎月広告コンペに挑戦しているのだが、半年以上続けていると、実感できたことがある。アイデアを考え、形にして提出する。その後、ファイナリストとして選出されたメンバーの作品を見る。なぜこれらが選ばれたのかを考え、最後にナンバーワンを決める講評を聞く。この講評が、とてもためになる。「何のためにこの広告を作るのだろうか」という本来の目的をしっかり捉えさせてくれる。今までどこか「インパクト重視」「新規性でなんぼ」みたいな上っ面だけで向き合っていた自分の頭を殴られる感覚。

「誰かの心に刺さるクリエイティブ」は、「その人の行動を変える力」を持たなければならない。それが広告の意義だ。

俳優の演技、アーティストの歌声と歌詞、フォトグラファーの写真、ライターのコピー、そして、デザイナーのデザイン、などなど。誰もが誰かのために、自由にクリエイトできる時代。A4たった1枚のデザインでも、「映画を1本撮ってやる」と同じ感覚で挑めるおもしろさに気づいた。

いつだって、新しいものを生み出すのは難しい。でも最近は、それを楽しいと思える自分がいる。0→1をつくり出すことが、誰かの行動を変え、これからの時代を変える力になることを、前向きにとらえられている。

さて、今から何をはじめようか。
悶々と過ぎる日々の中、つらつらと書いたこのすべてが、新年度を迎えるわたしの決意である。


KAWAGUCHI Yuko


「新」


一昨年だっただろうか。
ゲンから、CONSTRUCTION NINEが、
新曲の制作を始めていると聞いた。
しかも、曲数を溜めて、
初めてのフルアルバム制作を目標にしているのだと言う。


コンストの作品、
2007年の1st「RETURN TO THE MOON」と、
2008年の2nd「TRIANGLE」は、
自分が運営させてもらっていた
LOSER RECORDSというレーベルからリリースした。

だけど、自分は、売上的には成功と呼べる結果を出してあげることができなかった。
裏方として、レーベルを始めさせてもらった頃の自分に勢いはあったが、
今から思えば、色々なものが足らず、あまりに未熟すぎた。
コンストの2作品、猿ダコンクリートの2作品をリリースし、
2010年4月の猿ダの2ndのツアーファイナルを以って、
自分はレーベルを閉業した。
色々な人に迷惑をかけ、期待を裏切り、失敗に終わった。
もし他のレーベルでリリースしていたなら、
言ってはいけない一言を何度も自分の中で繰り返した。
自分には、想像力が圧倒的に足りていなかった。
自分のことが、とても嫌いになった。


コンストとも、徐々に疎遠になっていった。
自分も、あまりライブの現場に行かなくなった。
合わせる顔がないような気がして、行きづらくなっていた。

そしてコンストは、2012年いっぱいでの活動休止を発表した。


あれだけバンドが中心で回っていた
メンバー各々の生活も変化していった。
仕事、家族、住んでいるところも、
ソウタは小豆島、小島は大阪、ゲンは京丹後と距離が離れた。
年間で数本のライブには出演する、そんな活動を緩やかに続けていた。

そして今また、コンストは新しい作品を創り始めるのだと言う。
しかも、今までにない曲数を詰め込んだ作品を目標として。
なぜ今なんだろうか。
やり残したことがあるのだろうか。
今だからやれること、やりたいことができたのだろうか。

それは、自分もそうだ。
あの時やれなかったこと、今なら想像できること、
あるような気がする。

3月のある週末の2日間を使って、
大阪で1回目の録音があるとゲンに聞いた。
場所はあの頃と同じスタジオ、同じエンジニアさん。
俺も連れていってほしい、とお願いした。


2日間の録音作業で、
1曲は、MIXまでしてもらい、音源が完成した。
新曲だった。
コンストらしい、だけど今までのコンストにはない、
とてもいい曲だった。

真新しくはない物語かもしれない。
だけど、その物語が再び始まっていくことを現場でいっしょに体感した。
それがとても嬉しかった。

やっぱり自分は、コンストが好きだなと思った。
そして、この再生の物語に関わりたいと思った。
また、仲間に入れて欲しいと思った。


作業を終え、ゲンといっしょに京丹後に帰ってきた。
頼まれた訳でもなかったけど、
完成した新曲に、撮影してきた録音風景を編集し、
すぐにミュージックビデオに仕上げた。
新鮮な感動と高揚に、
あの頃の罪滅ぼしのような気持ちを加え点火して、
一気に燃焼したいような気持ちだった。
帰宅から24時間経たずに、それは完成した。
ただただ楽しかった。
出来たものをコンストのみんなに共有した。


これから数ヶ月かけて制作が進んでいく。
どんな作品が完成するのだろう。
その間、近くにいて、
コンストのために出来ることは何でもしたいと思っている。
またひとつ、話の続きを友達からもらってしまった。
今なら、自分もその続きが書けそうな気がする。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp


春がきた


ずいぶん前からパフォーマンスに声を取り入れてはどうかと言われることもあったけれど、なんとなく恥ずかしくて実行に移せなかった。去年、発声の手ほどきを受け、それ以来、発声練習と朗読が日課になっている。美しい詩を書く人に出会い、その詩を声に出して読むと、その人が見ている風景が目の前に現れた。今年2月に行ったパフォーマンスでは詩の朗読にも挑戦し手応えもあった。ダンスだけでなく声という身体表現を新たに開拓し言葉と声に向き合い冬を過ごし、気がつくと春だ。

12年前のパフォーマンスの記録を久しぶりに見直すと、そこには体幹の揺るがない自分がおり、我ながら驚いた。昨年は怪我をしたし、自分の身体に改めてじっくり向き合い、大切に扱っている。年齢に合った強度でよいから、体はちゃんと鍛えておいて損はないなと身に染みて思った。12年前はスマホを見てる人なんてほとんどいなかったし、youtubeなどもそこまで普及していなかった。春霞の午後は、目や脳を疲れさせ、心身を固めてしまうガジェットを窓の外に放り出し、地球の重力に身を委ね深い呼吸に包まれたいものです。


MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com


新しくなることの寂しさについて


小さい頃、慣れ親しんだものが新しくなる、ということにすごく抵抗があった。
ある時、おばあちゃん家に行くのによく車で渡っていた橋が、架け替えられることになった。
ずいぶん老朽化していて塗装もハゲハゲで、渡っているとガタガタと揺れているのを感じるような状態だったから、新しく今までより車線も多い橋が完成するということを、大人たちは嬉し気に話していたけれど、それを聞きながら私は、見慣れた橋がなくなるということが無性に悲しくて、子どもながらに、「でも、今の方が味があるし」というようなことを考えて、何だかわからないけれどやたらと古い橋の肩を持っていた。

今でも、見慣れた古そうなお店がなくなっているのを見ると、一度も行ったことがなくても寂しい気持ちになるし、イケイケのルーキーよりも、老兵を応援したくなる。
旧いものが新しいものに取って代わられる、何かが失われるということに対して、残すべきそれらしい理由を述べながら、結局のところその根本にあるのは、なくなるのが寂しい、ということなのだと思う。
どうも、この手の“寂しさ”に弱い。

ものごとの終わりや、別れも苦手だ。
ずるずると先延ばしにしたくなるし、またいつでも会えるよね、と念を押したくなる。
木々が柔らかい色に包まれ始めた今日この頃、袴を履いて卒業式に臨む女子学生の姿をよく見かける。
大学生の頃の私はやはり、寂しさや、新しい生活への不安や緊張を抱えて、卒業パーティーの会場を去れずに、ずるずると粘っていた。
いざ社会人生活が始まってみると、自分の稼いだお金で生活する解放感と、日々出会う新しい出来事の刺激で、寂しさを感じるどころではなかったのだけれど。

踏み出した先が思ったより楽しかったり、最初に思い描いていたよりもいい方向に行ったり。
そんな経験が積み重なるうちに、“寂しさ”のその先にあるかもしれない、色んな新しいことや可能性へのワクワク感、というものを感じる余裕が出てきた気がする。
それに、今はそれぞれに生きる友人と時折集まって、お互いの変化を感じたり、これまでとはまた違った形で交流が続いたりするのは、楽しいものだ。

“寂しさ”をきちんと感じられる人間でいたいとどこかで思いながら、少しずつ、それとの付き合い方も身に着いてきている。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。


編集後記


私の文章に出てきたコンペ。今回の課題は、「新社会人へのメッセージ」という新聞広告を提案するものだった。

今から社会に出る人たちに何を伝えたらいいのだろう。やっぱり、背中を押すあたたかいメッセージがいいのだろうか。はたまた、鼓舞するような力強いメッセージの方がいいのだろうか。新社会人に、紙面を見て、何を感じてほしいのだろうか。

悶々とアイデアを出す中で、自分も新社会人だった頃を思い出す。かれこれ17年前。今の新社会人と環境は違うけれど、同じように、期待と不安に胸を膨らませていた。その感情はもう取り戻せないが、思い出と呼ぶにはもったいない。

初心忘るべからず。

新年度を迎え、改めてデザインと向き合う季節にしたい。

2022.4.1 KAWAGUCHI Yuko

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