− 食べる −
Contents
◆ 誰にも忘れられない味があるんじゃないかな、という話/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「食べる」/HIRAI Yuta
◆ 毎日の、いただきます、ごちそうさま。/MIYAKITA Hiromi
◆ 食べる/MORI Atsumi
誰にも忘れられない味があるんじゃないかな、という話
人間の欲求のひとつである「食欲」。人は生きるため「食べたい」と感じ、食べることでエネルギーを生み出す。非常に大切な行為だ。命と関わりが深い「食べる」という行為には、誰もが忘れられないストーリーをもっているのではないか。いわゆる、「忘れられない味」だ。
私にもある。「ゆかりのおにぎり」だ。
小学生の頃、丹後のとある山に登る行事に参加し、遭難したことがある。大人たちは「大丈夫」と思っていたようだが、小学生だった私は怖かった。うっすらだが、地元の消防団らに助けてもらった記憶も残っている。散々歩き回ったこともあり、空腹だった。救助された後、地域の人たちが握ってくれた「ゆかりのおにぎり」が本当においしかった。だから今でもよく食べる。
忘れらない味は、忘れられない思い出だ。
いい思い出もたくさんある。旅行で食べた料理なんかは、どんなシチュエーションで食べたか、ということも含めて覚えている。その土地の味を知ると、その地域の文化に触れた気分になる。そしてその味は、10年後20年後、思いもよらないところで顔を出し、「また食べにおいで」とアピールしてくる。食の記憶は忘れがたい。
家庭の味、というのもあって、私の場合はコロッケだ。ゴロゴロしたジャガイモと挽肉だけのシンプルな具材。でも、それがとてもおいしい。3つくらいはペロリ。ロールキャベツも捨てがたい。こちらも、3つくらいは余裕でたいらげる。育った環境で覚えた味は、大人になっても忘れない。
命につながることだからこそ、食べることは大切だ。ひとりで食べる食事も、二人で楽しむディナーも、大人数での飲み会も、それぞれの良さを持っている。それぞれのストーリーを生み出してる。「おいしかった記憶」は、その状況のいろいろをのせて、いつまでも自分の中で輝き続ける。
食べることは、生きること。だからこれからも、大事にしたい。
今は、笑い合いながら仲間と囲む食卓を願うばかりだ。
KAWAGUCHI Yuko
「食べる」
いい歳して、
未だ、あまりにも空腹で、恥ずかしい。
焦燥をもっと食え。
悔恨をもっと食え。
矛盾をもっと食え。
憤慨をもっと食え。
屈辱をもっと食え。
苦境をもっと食え。
みっともない食い意地が満たされたら、
腹の底で燃やせ。
それでも生きようとする命を燃やして、働こう。
働いたら、飯を食べよう。
HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp
毎日の、いただきます、ごちそうさま。
頂き物の高級和牛をすき焼きにして久しぶりに牛肉を食べたら、体にエネルギーが満ち満ちてゆきました。レモンイエローの黄身がうれしい伊根の卵とともに食して、ますますエネルギー値が上がります。
スパゲティを水にひたして2時間くらい置くとふやけて真っ白になる。それを熱湯で茹でるとほんの1分でアルデンテになるという技を最近知りました。近くのスーパーでブロックベーコンを見つけたら、買って帰りすぐに一回分ずつ切り分けて冷凍しています。後日調理するときも冷凍のままの方が切りやすく使いやすいです。そのベーコンをスライスしてたっぷりオリーブオイルをひいた熱いフライパンへ投入。ほうれん草か春菊、きのこ類を塩胡椒で炒めて、1分アルデンテのパスタをまぜる、シンプルだけど好きなパスタの一品。
お向かいさんからいただく丹精込めて育てられた白ネギは、塩を振って少し置いた鶏モモ肉と相性ぴったり。まず皮を下にしてきつね色の焦げ目がつくまでフライパンで焼いてから白ネギを加え、少し長めに蒸し焼きすると、白ネギと鶏から出る水分が混ざりあい、乳白色の美しい光景が広がります。盛り付けてから小口ネギを散らします。目に美しいと更に美味しさが増しますね。
肉体を使っているので食べることは大事なので、毎日美味しいご飯を食べることができるのは幸せです。ごちそうさま。
毎朝の食事は、丹後の果物とヒラヤミルクのプレーンヨーグルトとミューズリーが定番です。この日は秋田帰りの干し柿のスライスも加わり楽しい朝でした。
MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com
食べる
私はどちらかというとしっかり食べる方だと思うし、食べることが好きだ。しかし、小さい頃は小食な上に食わず嫌いが激しかったし、運動部だった中高生を経て量はたくさん食べるようになったけれど、大学生の頃はいかにお金をかけずにお腹を満たすかが至上命題で、食べることにそこまでの執着やこだわりはなかった。
そう、丹後に住むまでは。
大学卒業後、就職した私の最初の赴任地となったのが丹後地域だった。
五穀豊穣をもたらす女神である豊受大神が降り立ったとの伝説が残るこの地域は、日本海に面し、今なお手つかずの自然や里山が残り、四季折々、豊かな自然の中で育まれる食の宝庫。訪れては胃袋をつかまれる人が後を絶たないが、かく言う私も、そのうちの1人。
有機で栽培されたジューシーでフルーティーなニンジン、上品な甘さと塩気のバランスが絶妙で、柔らかさと舌ざわりのよさにみずみずしさすら感じるぼたもち。
スーパーに行けば、季節の新鮮な魚が並んでいて、どこの居酒屋もお刺身がおいしくて、これまたどこで食べてもおいしいお米は、長年、特Aを獲得してきた。
しぼりたての日本酒、おでんにぬる燗、ナポリで修行した職人が作る窯焼きピザ、地元の食材を使ったおいしいイタリアン。皮はパリッと身はレアに焼き上げられた魚は、夢に出てきそうなほど。
カメノテ、岩ガキ、ふっくらほくほくのカレイの干物、カキのガンガン焼き、幻の新芳露メロン。
とれたて新鮮なイノシシの脂は甘くて、お鍋にしてしっかり温まって。山菜の天ぷらのほろ苦さと鼻を抜ける香りに、少しずつ訪れる春を知る。
思わず顔が笑ってしまうような、感動するようなおいしい体験をいくつもさせてもらって、おいしいものを食べるってこんなに楽しいことなんだと知った。
また、季節ごとのその時期にしか食べられないものや、その時期ならではのおいしい食べ方を追う楽しみも知った。
とれたて、できたて、地のもの旬のもの。そういったものは、いきいきと力強い味がする。
世界では今、一部の人間の安く、たくさん、いつでもどこにいても「おいしい」を叶えるために、さまざまなひずみが出てきている。
安くておいしいワインを作るために水源が枯れたり、たくさんの牛を育てるのに必要な穀物を栽培するため、森林が伐採されたり。
けれど、必要以上にたくさんの食べ物は必要ないし、新鮮さや旬のおいしさに勝てるものはないのではないか。
自分たちの住む土地でとれるものを、必要なだけ作って、とって、食べる。
世界中がそうなれば、食糧危機も解決するのではないだろうか。
ただまあ、そんなに単純な話ではないことは、この後のお楽しみにと私の傍らで待機しているチョコレートとチリ産ワインのボトルが物語っている。
MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。
編集後記
春の野菜はとてもおいしい。たけのこ、菜の花、キャベツ、ワラビ、などなど。野菜をボールいっぱいにつめて、モリモリ食べるのがいい。春になったら山菜を天ぷらにして食べたいなぁ〜と、年中考えている。想像するだけでお腹がすく。
今日から3月。今年は大雪だった丹後地方。あたたかくなってきて、道路に溜まった雪が日に日に溶けていく様を見ていると、だんだん気持ちも高ぶってくる。
今年も春がやってくる。
2022.3.1 KAWAGUCHI Yuko