− 透過 −
Contents
◆ 透過/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「透過」/HIRAI Yuta
◆ 伸/MORI Atsumi
透過
落ち込むことがあったとき、気持ちがもやもやするとき、悩みごとがあるとき、、、。就寝前、気持ちを切り替えようと水を飲む。静寂の中、ガラスコップに水を注ぐ。透明なガラスに、水がたまっていくのを眺めながら、「こんなクリアになれたらいいのに…」と思うときがある。
「クリア=透過している状態」に、自分の理想を重ねているのかもしれない。
そもそも、わたしたちが物を見るためには、「光」と「視覚」が必要である。視覚は今回おいておいて、光に焦点を当ててみる。色の認識方法は、光源そのものが発光する「光源色」(例:花火やネオンなど)と、光源の光を反射することで現れる「物体色」とに分けられる。物体色のうち、光が物体に反射して現れる色を「表面色」、光が物体を透過することによって現れる色を「透過色」(例:ステンドグラスやフィルターなど)という。
ガラスが透明に見えるのは、光が「透過」しているからである。ガラスという物体に光が当たったとき、反射したり散乱したりせず「透過」するからこそ、透明に見えるのだ。仮に、ガラスに不純物が含まれていたり傷などがあったりすると、透明度も下がってしまう。ガラスの輝きは、「クリアである」という証拠なのだろう。
不純物が少ないほど、透明度は高くなる。透明度が高く、クリアな状態。これが理想だけと、わたしはそうなりきれないときがある。
・・・だからこそ、憧れるのかもしれない。
誰かの言葉が、心の支えになることがある。映画やドラマのセリフ、歌詞、本に書かれた一文、街に貼られたポスターのフレーズ・・・。今まで生きてきて、わたし自身、いろいろな「言葉」に助けられてきた。悩んだとき、落ち込んだとき、投げ出したいとき、すーっと心に透過した言葉たちがあった。MOONは、そんな存在でありたいと思う。誰かの日々にそっと寄り添えるような、誰かの心に透過していくような、そんな存在。
コップに注いだ水を一気に飲み干す。冷たさが身体の芯まで一気に沁み渡っていく感じがたまらない。抱いていた負の感情を、プラスに変えてくれるようだ。
2022年になった。今年も、わたしを助けてくれる人たちと一緒に、誰かの心に透過できるストーリーを作っていきたい。
KAWAGUCHI Yuko
「透過」
松葉蟹の漁が解禁になってから、
温泉旅館の厨房にお手伝いに来ている。
コロナの状況も落ち着きつつあるせいか、
毎日とても賑わっている。
年末も正月も、
蟹を調理しまくって厨房で過ごす。
まさに公私ともにCRAB WORKS。
この町の調理師なので慣れたことだ。
先月書いた、あいつの作品が完成した。
不特定多数の人に向けての公開はなくなったが、
届けるべき特定の人たちに届けて、
昨年の大晦日の夜に限定公開を終了した。
色々あったけど、あいつはよく頑張った。
自分の名前のもとにしか、つくれない物語をつくった。
自分は、昨年開業して独立したとはいえ、
まだ仕事はほとんどないのでアルバイトしながら暮らしている。
アルバイトくんでは、まるで透明人間のようなものだ。
自分の名前のもとにしか出来ない仕事がしたい。
やるべきことは、それだ。
でも、物語が成熟するには時間が必要だ。
だけど、ただ待っていても物語は進まない。
自分で書き進めなければならない。
自分は、どんな物語が欲しいと思っているのか。
まずは偽りなく自分を透過すること。
HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp
伸
手の平を太陽に透かしても流れる血潮を確かめることはできないけれど、ふと視線を移すと、空に向かって手を伸ばすかのように、木々が枝を広げているのが目に入る。
青々とした葉や紅く色づいた葉を光が透過する様はきれいだ。
けれど、それ以上に、葉を落としてむきだしになった枝が空に向かって伸びる様に、気づけば目を奪われている。
高く高く、空に向かって伸びる枝をぼーっと眺めていると、自分もその枝の先で一緒に手を伸ばして、更にその先の空高くへ飛んでいってしまうような感覚に陥る。
私には、一生懸命に手を伸ばすものがあるだろうか。
追い求めて追い求めて手に入れた、と言える将来があるだろうか。
小さい頃は、大きくなったらなにになりたい、という夢をいつでも抱いていた。
それが、いつしか実現できそうなことばかりに手を伸ばすようになり、気づけば、何になりたいのかわからなくなっていた。
それでいいのだと、叶わない苦しみや、辛い思いなんかしないで生きるのがいいんだと思っていた。
でも、自分は何のために生きるんだろうという、もやっとしたものが頭のどこかに常にあって、それは徐々に広がって、いまや無視できないくらいに覆いつくしている。
私はいまだに、何者かになりたいと思っている。
何だか今月はとてつもなく青臭いことを語ってしまったような気がしますが、社会人生活にも馴染んできて、これといった目標もなく生きる日々は張り合いがないなと思う今日この頃。
自分のやりたいこと、一生懸命になれることの尻尾でもつかむ、というのが今年の目標です。
MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。
編集後記
31日、大晦日。
2022年を迎えるにあたり、今年一年を反芻する。楽しいこと、辛いこと、いろいろあった。出会いもあった。どうにもならないこともあった。
でも、次に進まなければならない。
新しい年のはじまりは、わたしの背中をそっと押してくれる。
カウントダウンの後は、前に進むしかない。
2022.1.1 KAWAGUCHI Yuko