− 共感 −
Contents
◆ 共感/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「共感」/HIRAI Yuta
◆ 寝子/MIYAKITA Hiromi
◆ 刺激するもの/MORI Atsumi
共感
昨今の最重要トレンドといっても過言ではない「共感」というキーワード。ビジネスにおいても、たぶんプライベートにおいても、求められているスキルである。
もの売りたければ、ECサイトや広告において「欲しいな」という「共感してもらえる仕組みづくり」をする。SNSで「いいね」を獲得したければ、「共感してもらえる記事」を投稿する。そのために、世の企業は試行錯誤し、価値あるコンテンツをつくろうと知恵を絞る。企業らしさ、商品らしさが伝えられる「ストーリー」を生み出し、ブランドのファン獲得を目指す。
かくいう私も、デザインにおけるユーザ体験(UX)を踏まえ、「好き」「欲しい」「行きたい」「食べたい」「遊びたい」等々の共感づくりに奔走している。
まさに、現代社会は、「共感」に洗脳されている。
ビジネスはそれとして、人付き合いにも「共感力が大事」というトレンドであふれているから、窮屈だ。共感力を高める啓発本に、テクニックを語る説教じみたサイト。人生を豊かにするため、少しは取り入れた方がいいのかもしれないが、どうも食指が動かない。共感は磨いて高められるものだろうか…疑問しかない。
2045年、人工知能の性能が人類の知能を超えるといわれている「シンギュラリティ」という概念がある。もし、AIが共感力を身に付けたら…。まさに、ネコ型ロボットの到来である。この手の話を聞くと、感情って何なんだろう…と考えてしまう。共感が「定義」されてしまうような気がして、受け入れられない。そこで共有される「感情」に、果たして意味はあるのだろうか。
人付き合いにも「共感力が大事」、ということを否定しているわけではない。共感しながらも、自分の意見をしっかり持ち、堂々と生きていたいと思うのだ。シンギュラリティを迎える頃、それはちょうど私が還暦になる頃。人間の意識がどう変わっているかは分からない。でも、その時を迎えても、自分の意思で堂々と行動できる信念を持っていたいと願ってしまう。
とはいえ、である。
今は、この『MOON』に共感し、ファンになってくれる人が一人でも増えたら嬉しいと思う。私たちのアウトプットを受け入れてくれる読者のみなさまには、感謝しかない。
夏の夜。目の前の「共感してもらう喜び」に救いを求めてしまう矛盾を感じながら、今月も、MOONを執筆している。
KAWAGUCHI Yuko
「共感」
2013年のはじめ、
大阪で勤めていた会社に退職届を出し、
正社員からアルバイトに雇用契約を変えてもらった。
姫路のbachoという友達のバンドが、
初めてのフルアルバムの制作に向けて動いていた。
出来るだけその活動に寄り添って、
ビデオカメラで記録したいと思った。
リリースするまでの物語を作品に仕上げたいと思っていた。
そのための時間が欲しかったからだ。
この頃にはもう、地元に帰って生活しようと決めていた。
2011年3月の出来事以降、
少しづつそんなふうに思うようになっていった。
それを了承してくれた彼女と結婚も決まっていたけど、
地元で何の仕事はするかは決まっていなかった。
どうやって生きて行こうか、決めかねていた。
自分の人生を強く動かす変化が欲しいと思っていた。
そんなとき、bachoの挑戦に勝手に自分を重ねて、
何かを変えようとしていたように思う。
そして、同じ頃、
FMたんご中西さんのお世話になり、
同局で「ラジオ蟹式」という番組を始めさせてもらった。
一足先に地元に帰ることを決めたゲンと、番組の企画を立てた。
丹後を出てからの生活の中で知り合ったバンドマンや、
ラッパーの友人、元芸人の先輩などに、
丹後まで来てもらって収録するというものだった。
自分たちは生活の拠点を地元に移すけど、
せっかく出会った友人たちと繋がり続ける理由が欲しかった。
そのために用意したような企画だった。
このとき、自分たちのチームに名前が要るだろうということで、
丹後なら蟹だろ、と「CRAB WORKS」という屋号をつけた。
予定を調整し、だいたい2ヶ月に1度、
日曜日に収録をすることが多かった。
移動はレンタカーか、アキラの車で、大阪から丹後まで移動した。
怒涛の4本録りをして、日帰り往復の旅。
丹後まで来てくれる友人たちに、ギャラは渡せないけど、
腹いっぱい飯を食って帰ってもらうというのが決まりだった。
毎度、過密な強行日程だったけど、楽しかった。
ただ、移動にかかる交通費くらいは、
自分たちで何とか稼ぐ方法はないだろうかと考えた。
バンドがグッズを制作販売して活動資金にするように、
Tシャツを作ってみようかと思った。
では、どんなTシャツを作るのが自分たちらしいんだろう、
それを考え続けていた。
「LOCAL」がいいんじゃないか。
思いついたのは姫路だった。
bachoのスタジオ練習を撮影する前、
bachoのベース、ともありの部屋にいるときに降ってきた。
地元に帰って新しいことを始めようとしている自分たちと、
地元でバンドを続けるbachoの共通点が、
なんとなく言葉になって表れた。
そして、「LOCAL」をプリントしたTシャツを作った。
販売を開始して、仲の良い人たちには贈って、着てもらった。
色んな人たちが、色んな所で、よく着てくれた。
bachoのドキュメンタリー作品は、
完成することがなかった。
とにかく変化を求めていた自分は、
手に職をつけてから地元に帰りたいと思い、
京都市内で調理の世界に入門した。
考えが甘かった。
それから約1年、ほとんどの時間を店で過ごした。
bachoの企画は、自分の不甲斐なさとともに、唐突に頓挫した。
幸い、店の定休日が日曜日だったので、
ラジオ蟹式の収録は続けることができた。
体力的には本当にギリギリの状態だったけど、
収録だけは絶対に穴を開けたくないと思って続けた。
遠方の収録に参加してくれる友人たちに
本当に感謝の気持ちがあったし、
企画者の自分が休む訳にはいかなかった。
それに、収録で友人たちに会うことを楽しみに、
自分も精神を保っていたように思う。
2014年の夏、
見習い修行中のある日、ともありから連絡が入った。
bachoはフルアルバムを完成させようとしていた。
その中から1曲、MVを作ってほしいという依頼だった。
ともありはラジオ蟹式にも定期的に来てくれていたし、
連絡は取り合っていたので、
自分がいま多忙を極めていることは知っているはずだった。
当然、時間と心に余裕は全然なく、悪い、と断った。
でも、ともありの熱意はとてもしつこかった。
結果、その依頼を自分は引き受けた。
「高砂」という曲のMVを制作させてもらった。
ボーカルギターのキンヤが、
地元である兵庫県高砂市のことを書いた曲だった。
僅かな時間を繋いで、高砂や姫路に足を運んで撮影した。
歌詞やタイミングに共感しながら、
自分なりに物語を表した。
心身ともに本当に余裕がない時期で、
それを承知で依頼してきたともありを
初めは懲らしめてやろうかと思ったけど、
いま振り返ってみると、
あれはとても大事な分岐点になったと思う。
自分の都合で唐突に終わらせてしまった物語の続きを、
ともありが書き足してくれた。
そして、2014の年末、地元に帰ってきた。
なんとか仕事も見つかり、新しい生活が始まった。
そんな2015年2月、
bachoは「最高新記憶」というフルアルバムをリリースした。
本当に素晴らしい作品だった。
bachoは、その年の3月から11月まで、
全国をドサ回るリリースツアーを続けていた。
自分も2ヶ所は遊びに行くことができた。
SNSでツアーの様子がよく流れてきて、
その熱を地元で垣間みていた。
メンバーがよく「LOCAL」を着てくれていた。
そして、そのツアーファイナルは奇跡のような夜になった。
平日にも関わらず、
渋谷TSUTAYA O-WESTという大きな箱にも関わらず、
当日になってたくさんの人が来てくれて、
SOLD OUTの大団円。
bachoが確実に新しい幕を開けた日だった。
最高新記憶ツアーの神戸セミファイナルと
渋谷ファイナルのライブ映像を、
「記憶の記録」というDVDで観ることができる。
「LOCAL」Tシャツもそこに映っていることが嬉しい。
自分の地元、京丹後に比べたら全然大きな街だけど、
姫路という地元の街から地道な活動を続け、
ひとつの成功をつかんだバンドの物語に
「LOCAL」という言葉のイメージが重なったように見えた。
あのとき、自分がつくったTシャツが、
彼らの物語に少し力添えをさせてもらったような気持ちになった。
自分とbachoの共感の共有のひとつは、
確かにその言葉のもとにあったと思う。
キンヤは以前、
「共に振れる」という曲でこう歌った。
まず特定の君を振るわせたいんだ
不特定多数の世界は後回しにして
それが理由で それが全てさ
君の延長上に世界があるから
自分は、この詞にとても共感を覚える。
でも、もしかしたら、
そう思っているのはこの歌に出会った後からかもしれない。
言葉にできずにいたことを、
キンヤが言い当ててくれたから、そう思うのかもしれない。
まず特定の君を振るわせたいんだ
それができないと意味など無いんだ
そして君に僕も振るわせられたいんだ
いつかそれができたって笑えればいいな
想像や期待を超えるものを受け取ったとき、
驚きに揺れ、心は強く動く。
心が開かれているとき、理解は生まれる。
共感は、そんな心地よさの中にあると思う。
誰かからもらった感動は、
その先の共振や共鳴のようなものに繋げていきたい。
特定の君、と言われると、顔が浮かぶ人が自分にもいる。
自分も、まずはその人たちの想像や期待を超えたい。
そんな生き方をしたいと思う。
たまたま出会って、たまたま心通っただけの君と、
この歌のような関係で生きていけたらいいなと思う。
ラジオ蟹式は、
自分の仕事の環境が変わり、
どうしても日曜の収録が難しくなったため、
2年半ほど続けて終了した。
腹いっぱいになったとは思わなかったけど、満足感はあった。
共に振れてくれた友人や家族やFMたんごの方々、
関わっていただいた皆様のおかげであることは間違いない。
▼bacho “高砂” MV
https://www.youtube.com/watch?v=KWN3XlILzVY
HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp
寝子
先月号で足を痛めてしまった話をしましたが未だ治癒に取り組んでます。医師に「おとなしくしてないと治りません」と言われてしまい、暑さが続きますし、自宅2Fに籠もって日々を送っているとますます心身不調になりそうでした。でもそんな時はネコ・パワーで慰めてもらい元気回復するのが一番の良薬です。「いつもと違うから不安だにゃ〜」と思ってそばにいるだけかもしれないのですが、猫の共感力ってほんとうに凄いなと思って感動するわけです。
足を痛めてから体の不自由がリアルになり、高齢者の独居の方の暮らしはきっと大変なのだろうとか、バリアフリーとか、公共交通とか、いろいろなことを以前より踏み込んで想像しました。頭では理解できていても体験していないことを共感するのは難しいので、当事者になった時に感じたことは忘れないようにしたいです。
10月の舞台に向けてリハーサルが始まるので今日からリハビリに入りました。なんとしても治さねばと気ばかりが焦っていたのですが、理学療法士の丁寧な説明と施術のおかげで目標が見えて活力が戻りました。あとはネコに癒やしてもらって軽々と乗り越えてゆきたいものです。
MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com
刺激するもの
共感するばかりの会話はつまらない、と思う。
決して、共感することが悪いという意味ではない。 自分が言ったことに対して、「わかるー!」と言われると嬉しくなるし、出会ったばかりの相手とも、その一言で一気に距離が近くなれたりする。
悩みや愚痴も、「わかるよ」と言いながら聞いてもらうだけで気持ちが軽くなったりするし、好きなものを同じように好きと言い合える時間は、とても楽しい。
誰にも理解されたくない、とか尖ったことを言うつもりはないし、時には、人間関係を円滑にするために、相手に合わせることもある。
だけど、頷き続けるのも飽きてくるし、相槌のレパートリーだって尽きる。
さっきからずっと「わかるわぁ」と聞いてくれている相手は本当にそう思っているのかなと、居心地が悪くなってくる。
共感だけじゃない、「私はこう思う」と言い合える会話がしたくなる。
相手の言ったことに共感できなくても、「それってどういう意味?」「なんでそう思うの?」と聞き返すことは、より深く相手のことを知るきっかけになるし、あぁ、自分はこういう考え方ではないんだなと、自分を理解するきっかけにもなる。
自分の言ったことに対して、相手から「私はこう思う」とか、「こういう考え方もあるよね」と示されることで、視野が一気に広がったり、目からうろこが落ちたりする瞬間は、とても気持ちがいい(ただし、そこで話も聞かずに自分の考えばかりを披露されると、一気に疲労感が押し寄せる)。
こういう会話はすごく刺激的で、充実した気持ちになる。
日常のふとした会話がそうであることもあるし、この人とは確実にこういう会話ができる、と思う人とは、定期的に会ったりもする。
そして、これは文章に関しても同じことが言える。
自分の考えていることがぴったりはまる言葉で書き表されていて、「そう!それ!」と嬉しくなったり、書かれている内容に、「いや、私はそうは思わないぞ」と思って、そこから自分はどう思うと考えたり。
共感できてもできなくても、自分の思考や感情を刺激する文章を読むと、いいものに出会えたなと思うし、これまた充実した気持ちになれる。
私がこうして書いているものは、誰かの思考を刺激できているだろうか?
MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。
編集後記
賛成だとか反対だとか。正しいとか正しくないとか。
そんな話題の昨今。
最近感じることは、みんな、同じことを思っているようで、実はそうでもないということ。「賛成だよ」と一言でいっても、その理由はさまざまだったりするし、意外な理由が含まれていたりする。
許す、許さない、許せない、の判断もしかりだ。
個人としては、過去の過ちに寛容な世の中であって欲しいと思う。
私は、自分に正直に生きるだけである。
2021.8.1 KAWAGUCHI Yuko