MOON vol.10 / 包む / #8CC832

− 包む −

Contents

◆ 包む/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「包む」/HIRAI Yuta
◆ 無垢なよわきもの/MIYAKITA Hiromi
◆ 包まれたなら/MORI Atsumi


包む


包み隠したい過去は、それなりにある。

例えば、お酒の失敗。社会人2年目くらいの頃、クライアントと飲みに行って、酔っ払ってトイレから出られなくなったことがある。苦い思い出だ。
告白っぽいシーンを装い、からかわれたこともある。恥ずかしいやら、腹立たしいやら。あれからだ、人の好意を素直に受け入れられなくなったのは。


包み隠してしまうことも、それなりにある。

例えば、後ろめたいこと。基本的には嘘をつくのが嫌いなのだが、不都合なことを、ついつい隠してしまうことがある。
あとは、誰かを傷つけてしまう真実。基本的には相手を気遣う気持ちからなのだが、嫌われたくない、争いたくない、という自己防衛でもある。


包み隠せばすむことを、放っておけない時がある。

例えば、モラルに反すること。自分の価値観と合わない時、声を上げたくなる瞬間がたまーにある。正義の味方を気取るつもりはさらさらないが、納得がいかないときは、どうにもこうにもいられない。
とはいえ、小心者なので、やっぱり感情を包み隠してしまうこともある。寝て忘れて、それでおしまい、にすることもある。


包み、包まれ、私たちは生きていく。
包容力とは、よくいったものだ。
駆け引きしながら、相手の腹を探りながら…。
そんなスリリングな日々を、力強く生き抜いていかなくては。


KAWAGUCHI Yuko


「包む」


3月末で会社を辞めて
出勤しなくてよくなったけど、
毎日本当に忙しい。

開業の準備作業を進め、
主夫業をそつなくこなし、
知らないことを勉強し、
仕事の形を少しずつ作っていく。

そうこうしているうちに、
子供たちを保育園に迎えにいく時間は
一瞬でやってくる。

多忙ではあるけれど、
現在は無職。収入ゼロ。
今しか出来ないことと開き直って、
ゼロ地点から社会との距離を測る。
果たして自分に何かの価値があるのかを
自問し続けている。

でも机に座っているだけでは、
何かが始まることはない。
目標に向けて先細っていくような集中と緊張を、
たまには解放してあげたい。
外に出よう。映画を観に行こう。


自分の住む町には映画館がない。
となり町まで行くと、
豊岡劇場さんという素敵な映画館がある。
上映される作品も観たいものが多くて本当にありがたい。
観たい映画はなるべく映画館で観るようにしている。

大阪で暮らしていたときも、
悪友たちが住んでいたのと、
素敵な映画館があるという理由から、
九条という街を選んだな。懐かしい。

映画館は、
自分を色んなところに連れて行ってくれる。
昔から本当に大好きな場所だ。
たまたま同じタイミングで
その映画を観たいと思った人たちと、
ちょっとした旅に出るような気分。
映画館を出るときに、
入る前とは違う自分のように感じるあの感覚が好きだ。
スクリーンから発せられたメッセージを
自分なりに解釈して持ち帰る。
映画館からの帰路はとても好きな時間。
何かが変わる帰り道。

これからも映画館という場所に包まれて、
変わり続けていきたいと思う。
町という場所に包まれて、
どう生きるのか考え続けていきたいと思う。

九条シネ・ヌーヴォで観た
「海炭市叙景」を思い出す。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp


無垢なよわきもの


大切なものはくるまれている。
赤ちゃんもおつつみでくるみます。
お庭の手入れをしていると、植物たちがくるまれているところから現れてくる場面によく遭遇します。新しい葉が現れてくる時、蕾から花になる時、大切に包まれているところから出てくる美しい生命たち。

母に認知症の症状が出始めてからもう何年にもなります。ゆっくり進行し、一番近くで過ごす父は苦労してるようですが、自分の下着もどこにあるのか知らなかったような父が、役場を定年退職してから、料理以外の家事力がすごく高いことが判明しました。だから良かった反面、母は父に家のことに手を出されていると思ってストレスだし、居場所が無いと感じているようなのです。父は自分でやった方が早いから、さっさと洗濯、お風呂掃除、買い物とどんどん家事をこなす。母には少し前の会話の記憶などもないことが多いので、限られた情報の中で物事を判断して、妄想の無限ループになり、結局一番甘えることのできる父を一番の悪者にしてブツブツ文句を言っている。

どうしてこんな話をしたかというと、結局人間はオギャーと産まれてきて、最後はまた産まれた時の無垢な、自分では何もできない状態に戻ってゆくのだなと思わされるから。最後は赤ん坊に戻るなら、大切にくるまれている状態にしてあげることが、認知症の進行には効くのだとしたら、こちらも色々と戦術を練らなければならない。母の妄想につきあって、私は娘として母に世話を焼いてもらうプレイみたいなものに徹して、長く続くであろう演劇の脇役を演じるかと、先日久しぶりに帰省した時にひとしきり思ったのです。

1 いちょう。ほんの少し若葉が見える
2 ツリー・ジャーマンダーの花と蕾
3 シレネ・ユニフローラ
4 くぬぎ。みのむしのような枝の先端から瑞々しい若葉が現れる
5 三津コミュニティ広場で見つけたシロバナタンポポ

MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com


包まれたなら


新緑の美しい季節になった。
日の光に照らされた輝く緑が、青空に映える。
毎年、この季節が一番好きかもしれない、と思う。
環境が変わってくたくたになっている年も、新緑を見るとすがすがしい気分になれる。

さて、「包む」と言うと思い出すのは、松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」。

私はこの曲の歌詞を、次のように解釈して聴いている。
小さい頃は神様がいて、夢だって叶えてくれたし、毎日愛を届けてくれた。両親やまわりの大人の無条件のやさしさにいつでも包まれて、与えられることが当然の、無敵な世界。
大人になると、そんな風に無条件に与えられて、守られることはなくなる。
だけど、やさしい気持ちで目覚めた朝には奇蹟が起こるような気がするし、ふとした瞬間、例えば、木洩れ陽や雨上がりのくちなしの香りのやさしさに包まれたときには、前向きになれるし、小さい頃のような、何も怖いものなどないような気持ちになれる。

大人になると、自分の足で立って、歩いて、考えながら、色々なものと闘っていかなきゃいけない。
あることが当然なものなんて、何もない。
夢は自分で叶えなきゃいけないし、自分のご機嫌は自分でとらなきゃいけない。

20代も中盤以降になって来ると、同世代が集えば、結婚が話題に上ることも多い。
自分もいつかはするものだと思っていたし、したいと思っていたけれど、何で結婚したいんだろう、本当にしなきゃいけないんだろうか、と考えているときにこの曲を聴いて、あぁ、小さい頃のように、いつでもやさしさで包んでくれて、無敵な気持ちでいさせてくれる存在を求めているのかもしれない、とふと思った。

なかなか人と直接会って話す機会を持ちにくくなったここ最近、自分はそういう人と話をすることで支えられている部分があったんだなと前以上に気付いたからこそ、余計に思うのかもしれない。
友人にしろ、恋人にしろ、結婚相手にしろ、関係性は何であれ、支えになってくれたり、背中を押してくれたりする存在も当たり前にいてくれるわけではないのが大人の難しいところであり、だからこそ、そういう存在に気付けたときの喜びも味わえる。

一方で、この曲で歌われているように、ふとした瞬間のやさしさに気付けるのも大人。
だから私は、コーヒーの香りに一息つきながら、新緑を見上げながら、今日も前を向く。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。


編集後記


今年のゴールデンウィークも、自粛である。遊びに行きたい、飲みに行きたい、旅行に行きたい、…欲望が膨らんでいく。
でも、今年は幸いやることがたくさん。課題に制作に、自分磨きに笑 時間がいくらあっても足りないくらい。
できることをできる範囲で。常に、前向きでいたい。

2021.5.1 KAWAGUCHI Yuko

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