MOON vol.7 / 徐 / #9096AC

− 徐 −

Contents

◆ 春の陽気が待ち遠しい今日この頃/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「徐」/HIRAI Yuta
◆ セーターの穴/MIYAKITA Hiromi
◆ 徐と瞬発力と/MORI Atsumi


春の陽気が待ち遠しい今日この頃


光陰矢の如し。正にその通りで、私も毎日を大切に生きたいと思いつつ、あっという間に過ぎる時間に落ち込む日々である。

「徐行」という言葉が好きだ。道路交通法では、「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう」と定義されており、そこには強制力がある。「ゆっくり進むこと」が強制されるなんて、なんて素敵なのだろうか。

道路の曲がり角付近では、徐行しなければならい。見通しの良し悪しにかかわらず徐行する必要があるとされている。きっと、人生も同じだ。変化が起こるときは、ゆっくり進む、あるいは、立ち止まる必要があるのかもしれない。

日々の試練は枚挙にいとまがない。コロナに大雪、予期せぬことも起こる。
そんな時代だからこそ、徐にコーヒーを飲む時間に幸せを感じてしまう。眠りにつく瞬間も、本当に天国だ。徐なリズムで時間を刻めたら、もっと心穏やかに過ごせるだろう。一日も、少しだけ長くなってくれるかもしれない。

降る雪が、スローに見える。
今年は丑年、牛の歩みでいきたいものだ。

KAWAGUCHI Yuko


「徐」


おばあちゃんは、
お腹のあたりをさすりながら
俯きがちになることが増えた。

数年前の検査で腫瘍が見つかったけど、
悪性かどうか判断しにくいということで
様子を見ることになった。
改めて検査すると、やはり癌だった。

もうすぐ90歳。
大きな手術に耐えられる体力はもう無いだろう。

「おばあちゃん、これからは行きたいところに行って、
 食べたいものを食べて、ゆっくり過ごしましょうか。」

おばあちゃんは先生の大ファンで、
病院に行って先生に診てもらうのが好きだった。
先生もおばあちゃんに優しく接してくれた。

「はい。そうさせてもらいます。」

おばあちゃんは受け入れた。
悲壮感はなかった。
おばあちゃんは、自分の人生を、余生を、
肯定的に受け入れたんだと思う。


それから、おばあちゃんは、
だんだん弱っていくように見えた。
それでも、会いにいくと、
横になっていた体をゆっくり起こして迎えてくれた。
おばあちゃんに会いにいく頻度が自然と増えていった。

そんなある日、
おばあちゃんの部屋でふたりになったとき、
おばあちゃんはおもむろに語り出した。

自分の生い立ち、
ひいじいちゃんの話、ひいばあちゃんの話、
戦争の話、貧しかった話、
嫁いできた頃の話、先に逝ったじいちゃんの話、
母や伯父や伯母が子供の頃の話、
栄養失調で幼くして亡くならせてしまった娘の話、
孫たちが生まれてきたときの話、
家族が増えていく喜びの話。

自分の人生を振り返りながら、
色んな話を繋げながら、
私はこんなふうに生きてきたんだよと話してくれた。

自分の親を敬い、子を褒め、孫を褒めていた。
じいちゃんだけは、
若い頃に顔から火が出るほど殴られたことがあると
チクッとやっていたけど、
とても幸せな人生だったと言っていた。

あの日、間違いなく、
おばあちゃんは僕に遺そうとした。


うちの娘が生まれてくるまでには間に合った。
22人目のひ孫だった。
もう抱っこは出来なかった。
おばあちゃんは、うちの娘の手を握って、
いい名前をもらったねと話しかけていた。
ひ孫全員の名前をしっかり憶えていた。

おばあちゃんが亡くなったのは
それから少し経った夏の日だった。


あの日、おばあちゃんに会いに行ってよかった。
知らなかった話も聞けたから。
生まれたときに受け取っていたものを、
もう一度渡してもらったような気持ちになった。


HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp


セーターの穴


お気に入りのセーターに開いた穴をなんとかしたい。そうして、ニットのセーターや靴下など穴のあいた服を再生する「ダーニング」という方法を知りました。

私は手芸などは全然しないのですが、キノコ型の道具も可愛く作業もシンプルなので、これならできそうだと始めました。穴が真ん中にくるようにキノコをおいて穴の大きさを確認し、まず糸で列を作るように縦糸を編みます。こんどは縦糸に対して上下上下と横糸を通してゆきます。そうすると小さな穴の上で織物ができあがり、上手に縫わなくても絵になり服も蘇ります。型紙を用意してその通りに布を裁断し縫ってゆく服作りの工程は失敗できない雰囲気があり緊張してしまいますが、「ダーニング」は素人の不器用さが趣きになるのでゆったりした気分で取りかかることができました。

シンプルな作業なので、続けていると時間を忘れます。デジタルライフから少しだけ離れ、静かな気持ちになり、好きなものを長く使える喜びを感じます。

MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com


徐と瞬発力と


「先生はおもむろに口を開いた。」

「彼はおもむろに立ち上がった。」

「おもむろに」という言葉が付くと、何か始まるぞ、という感じがする。
もったいぶるような感じだったり、ちょっとした緊張感だったりを感じる。
なお、辞書で調べて出てきた意味は、「落ち着いて事を始めるさま。ゆるやかに」。

私は何かを始めるとき、「おもむろに」始めることが多い。
やってみようかな、やらなきゃな、と思っても、すぐには行動しない。
どうやってやろうかな、
始めるにはこれがいるな、
でも、やってみたら思ってたのと違うんじゃないかな、
いやいや、今やってるこれを片付けてからじゃないと・・・
と、色々なリスクや可能性を考えて、
そもそもなぜやりたいと思うの?本当にやる必要があるの?
と自分の気持ちに問いかけて、
万全を期した状態で、さあ、始めるか、となる。
しかし、たいていの場合、考えすぎてどんどん腰が重くなっていく。

そんな風になかなか行動できないのが嫌で、ここ何年かは、「行動に移す」ということを自分の中で目標にしてきた。

それを加速させたのが、昨年春の不要不急の外出の自粛だった。
私はもともと家にいることは苦痛ではない。でも、だからこそ、何もしなければあまりに日々淡々と過ぎていきそうで、ステイホームに反しない限りで、とにかく思いついたことをどんどんやってみるようにした。

ずっと気になっていたスマホの料金の見直しをしたり、
小説が読みたいなぁと思って、久しぶりに図書館に行ってみたり、
続けられなくてもいいから、とりあえず気の向いた日から走り始めてみたり・・・

大したことはしてないけれど、思いついてすぐ行動する、というのがだんだんと快感になっていった。
また、やってみたら案外簡単だったり、思ったようにいかなかったとしても、そこから新たな発見や次につながるきっかけができたり。
やりたいなぁと思いながらだらだらしているより、とりあえずやってみた方が気持ちが軽やかで、得るものも断然多い。

一方で、行動を起こすまでに自分に向き合ってきた過程やそうやって出した答えは、確実に自分の中に蓄積されて、悩んだときのヒントになっている。
これまでの行動するまでに費やした時間も無駄じゃなかったのかもしれないな、とも最近思う。

チャンスもハプニングも、いいことも悪いことも、自分発信でない出来事はおもむろには発生してくれないし、ある日突然やってきて、変化や選択を迫られる。
チャンスが訪れたときには、タイミングを逃さずつかめるようにしたいし、ハプニングが起きたときにも、柔軟に、臨機応変に対応したい。

そのためにも、日頃から自分の気持ちややりたいことをじっくりと考えつつ、ここぞというタイミングで、えいやっと飛び込める行動力をあわせもちたい。

と言いつつ、やっぱりおもむろに書き始め過ぎて、この原稿の提出が遅くなったことは反省しております。


MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。文章を書くのが好き。


編集後記


まさかの出来事がまさかでなくなった昨今。全ての責任が、一人ひとりの判断に委ねられている。評価されるも貶されるも紙一重。生きる力は、すべて自分にかかっている。
でも、こんな時代だからこそと、チャレンジする人がいる。コロナ禍の中、会社や事業を始めたり、プロジェクトを企画したり、働き方や生き方を模索する仲間もいる。

私にできることは何だろう… そんなことを考える日々である。

2021.2.1 KAWAGUCHI Yuko

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