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Contents
◆ 3つの選択/KAWAGUCHI Yuko
◆ 「3」/HIRAI Yuta
◆ 3つの蜜/MIYAKITA Hiromi
◆ 新年あけまして/MORI Atsumi
3つの選択
「3」という数字には、不思議な力がある。
私が思うに、3という数字には「分かりやすさ」「安心感」そして「具体性」があるのではないかと考える。
分かりやすさを例にとると、「世界3大○○」という表現。三大宗教、三大発明、三大美女など、人は3つ並べられると、そこにあるまとまりや完結性を感じるのだそう。人の歩みである「現在・過去・未来」、三位一体を意味する「魂・精神・肉体」、ジャンケンの「グー・チョキ・パー」。「3密」も、私たちの生活に取り入れるには、少なすぎず多すぎず、理解しやすい提案だ。
3つの列挙にまとまりを感じるのは、きっと、人間の深層心理と関係があるからかもしれない。私たちが住む3次元の世界、3点を繋いでできる三角形、色光の3原色を表す「R・G・B」など、自然界にも3で構成されるものは山ほどある。無意識の安心感、というべきだろうか。3で構成される世界で生きているからこそ、その感覚が心地よいのではないか。私も、3連休と聞くと、なんだかとても嬉しい気持ちになる。
最後は、具体性。デザイナーになりたての頃、「お客様には3つ提案しろ」といわれたことがある。1案では物足りない。2案だと比較になる。3案あると、選択肢が広がり選ぶ満足感が得られる。他にも、「好きなタイプは、背が高く、爽やかで、そして心優しい人です」というように、3つ目の答えが用意できると、より具体的にそのものを語ることができる。人間心理をうまくついている。
「はい」「いいえ」では答えづらい問いに、「どちらでもない」が加わると、途端に柔軟性がうまれる。この柔軟性は、私たちの日常に気持ちの余白を与えてくれる。
ただし、この「どちらでもない」は、「逃げ」であってはならないと思う。「どちらも選ばない」のではなく、「どちらでもない、新たな選択肢を見つける」という攻めの姿勢が必要だ。
コロナは「収束する」「収束しない」ではなく、「収束させるためには」あるいは「共存していかなければならない時には」という視点。これは、「YES」か「NO」かで判断せず、物事と向き合うための重要な視点だと思う。
そして、この第3の視点を持てることこそ、人間が考える葦であり続けられる所以ではないだろうか。
これからの世界は「よくなる」「よくならない」ではなく、「よくするためには」という可能性。私は、その可能性と向き合える人間になりたい。常に3つ目の選択肢を提案できる人間でありたい。
令和も3年目。どんな年になるのだろうか。
KAWAGUCHI Yuko
「3」
色々ぶっ壊れた一年が終わった。
終わったけど、日付が変わったというだけで、
何も終わっていない。
とは言え、正月くらいは、
気持ちを新たに持つきっかけにはしたい。
色々と大変だった一年、お疲れ様でした。
今年も気を楽に持ってがんばりたい。
目に見えない脅威を世界全体で共有し続けている。
ここまで多くの人が、
他人のことを自分のことと同じように思うこと、
今までなかったんじゃないだろうか。
2011年3月11日。
自分はあのときから意識が変わった。
変わらなければいけないと強く思う出来事だった。
そこから自分の過去との対話が始まった。
わざわざそう思って生きていたわけではないけど、
「自分さえよければ」は無意識の中にいた。
むしろ自分は大いにそういうところがあった。
省みれば、後悔している失敗はほとんどがそこから来ている。
「無意識を意識する」
むかし先輩が言っていた。
映画の台詞らしい。
その先輩とも喧嘩別れしたままだ。
失ったものから学ぶことばかり繰り返してきてしまった。
無意識の中にある身勝手さを意識して、
選ぶ言葉を変える。行動する。
やれることはそれしかない。
今年、自分は40歳になる。
20歳が成人ならば、2周したことになる。
そのリズムで言えば、ここからが人生の3周目。
与えてもらった1周目。
失敗したり、させてもらってばかりの2周目。
3周目は、お返ししたい。
直接的にはもうお返しできない損ないも多い。
だからこそ、もう損なわないことを目指したい。
再生という言葉にギリギリの希望を持たせてもらって、
常に自分を疑うことを忘れない。
出来ることならば、3周目も生きて通過したい。
HIRAI Yuta(CRAB WORKS)
https://crabworks.jp
3つの蜜
新年明けましておめでとうございます。昨年はコロナ禍で色々と混乱の続く年でしたので、2021年は明るい年になると良いですね。今年はどんな風にMoonのエッセイを書こうかな。
私はハチミツが大好きで、旅先でその地方の花木からできる蜂蜜を自分へのご褒美に買うことがあります。クリームタイプのハニーの舌触りと甘さに癒やされますし、マヌカハニーの独特の生薬っぽい感じも好みます。好物のハチミツの話をすると尽きないので今日は3蜜ということで。
ロー・ハニー
数年前にニューヨーク州の田舎の養蜂場で作られたハニーをお土産にいただいたのですが、すごく美味しい生ハチミツで、以来ハチミツが大好物になりました。日本でハチミツというと、サクラ印のハチミツが思い浮かびますよね。黄金色で容器を逆さにしてトーストの上にトロッと落とすみたいな感じ。それとは全然違って、瓶に入った白いクリーム状のものなので、スプーンですくって口に入れて溶かして味わいました。舌の上でゆっくり甘みが広がる感じに魅了されたのですね。別の機会にお土産にもらったハワイの白いハニー「レア・ハワイアン」はもっと本当に白くて、もったいないので少しだけすくって毎日チビチビいただいたのでした。
ローカル・ハニー
2019年に滞在したデンマークのミョン島が養蜂の盛んなところで、ちょうどその年のハチミツが出荷される時期に滞在していました。日本で言うところの無人販売所のように、農家のお宅の庭先に作ったばかりの蜂蜜が並べられていて、幾つも買いたくなる気持ちを抑えました。びっくりしたのは、北欧はキャッシュレス社会。日本のようにお金を入れる箱が置いてあるわけではなくコード番号だけが置いてありスマホ決済オンリーだったこと。ちょうどエルダーフラワーの美しい季節でもあり、一緒に買ったエルダーフラワージュースも旅の疲れを癒やしてくれるのでした。
マヌカ・ハニー
昨年コロナ禍で混乱する直前にオセアニアにいたのでマヌカ・ハニーが身近なものになりました。パンケーキと一緒に食べるような感じではないですよね。人類は何千年もこういうものを薬にしていただろうと想像します。化学や科学の知見によって作られた医薬品も私たちの健康にとって無くてはならないものですが、日常生活は生薬で心身を穏やかに保って心地よく暮らしたいですね。
最近は蜂の数が減少していることをよく聞きますが、ハチに寄生するダニや農薬が原因のほか養蜂家の減少にもあるようです。ハチというと花から花へ飛び回っているイメージですが、世界中で花が減っていることも看過できないことのようです。私のお庭にもミツバチやマルハナバチがやってきてくれるのですが、お花を咲かせることがハチの暮らしに役立っていることを知ってお庭の手入れがますます楽しくなりました。自分の好きなものを作ってくれる生き物や生産者さん、ありがとうございます。
MIYAKITA Hiromi
https://miyakitahiromi.com
新年あけまして
3は、私の中では黄緑色のイメージ。もしくは、黄色。
小柄で、運動神経のいい男の子のイメージ。キャップに半ズボンで走り回っているような。
小さい頃から、好きな数字は9だった。
濃いピンク色、明るい紫色、髪の長い、すらっとしたお姉さんのイメージ。
大人になるにつれて薄れてきたけれど、私の中では、小さい頃から、数字や文字にはそれぞれ色のイメージがあった。(数字に関しては、なんとなくキャラクターも。)
こういう、数字や文字を見て色が思い浮かぶというような、ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が無意識的に引き起こされる現象を「共感覚」というそうで、他にも、音から色が思い浮かんだり、味や匂いに色や形を感じたりする人もいるらしい。
この共感覚は誰しもが持っているものではないようで、昔は数万人に1人とか言われていたそうだけど、最近の研究では、23人に1人とまで言われているらしい。
でも、感じている本人はそれが当たり前だと思っていて、人に話す機会はなかなかないので明らかにならないだけで、実は共感覚を持つ人はもっとたくさんいるのかもしれない。
共感覚の話に限らず、感覚というものは得てして、自分の中ではこういうものだと思っていたけれど、他の人にとってはこうだった、というものだと思う。
例えば、お腹が痛いとき、どれくらい痛いか、というのを明確に人に説明することは難しいし、確実にわかってもらうには、体を入れ替えるしかない。
今、私が青色だと思っている色だって、実は他の人にとっては私にとっての赤色に見えているのかもしれない。
人がどう感じているかなんて、他人からはわからない。
自分の感覚は、自分にしかわからない。
何をきれいと思い、何を辛いと思い、それが、自分の中でどれくらいの大きさのものなのか。
「どれくらい辛いか」という、誰しもが客観的に共有できる「辛さの基準」なんて作り得ないんだから、「他の人も辛いはずだから」とか、見えもしない他人の苦痛と比べても意味はない。
わかりもしない「誰か」の感覚と比べて、無駄な我慢をするよりも、自分にとって快適な、より自分が頑張れる方向に力を注げばいい。
そうでないと、自分の声の拾い方がわからなくなって、だんだん、自分にとって何が快適なのかもわからなくなってくる。
令和3年。黄緑色の、やんちゃ坊主の年。
自分の心と体に耳を傾けながら、さあ、今年はどんな1年を過ごそうか。
MORI Atsumi
元・丹後在住。現在は京都市内でデスクワークの日々。文章を書くのが好き。
編集後記
MOONに、新メンバーが入ってくれた。かつて、丹後で一緒にイベント運営をするなど、切磋琢磨した仲間だ。今は仕事で京都市内にいるが、先月再会した。その時、MOONの話をすると、とても興味を持ってくれた。嬉しかった。
自分がやりたいと思ったことに賛同してもらえるのは嬉しい。気持ちに共通項ができるような感覚。本当に幸せだと思う。
2021年1月1日。新しい年を迎えた今も、日本は、世界は、大変な状況が続いている。
みんなが安心して生活できる日が、どうか一日でも早く来ますように。
2021.1.1 KAWAGUCHI Yuko